詰襟の学生服を着た、少年國本清治君。
イタンキの丘を駆け廻った美術部の友達。
それらを彷彿させる再会のある日。
『独立して、地域医療に生涯を』と夢を語りました。
内容に含まれる思い入れと暖かいヒユーマンな構想。
私は國本清治という人物の根に在る生まれ育った環境と眞直な真理の道を歓びいっぱいに聴きました。
少年期迄旧大町の國本耳鼻科医院。町内の雰囲気、近所の人々、白百合幼稚園、家族の様子。
それらの従事の思い出は、良き時代の室蘭の街であり、作者もどこかで関わる人々の多くが、年令を超えて一緒になって嬉しくてたまらない程でした。
加えて、『書いて欲しいモチーフ・資料』をちゃんと用意して来られました。
主題の建物國本耳鼻科。
他はまだあった頃のデッサンと、浜町に出る鶴の湯小路、先はフローラ喫茶店。
小公園の楽しい遊び。
幼稚園の子供、物売りの賑やかさ等イメージの記憶を描いています。
大切な祖父、両親、家族と幼ない院長。私は物語のような絵にしたいと思いました。
その絵が鑑賞者の何処かと共通する大切な思い出で、絵と語り合えるようにと、ブルーを基調色としました。
はじめに建物を描いて、背景の入り江の山やトランスポーター、高架の石炭貨車は作者自身絵に入り込んでいましたし人物は優しさを求めました。
画材は、ルフランのキャンバス。
絵の寿命長かれと吟味です。
制作は約三ヶ月、仕上げに画題『家族の春』と決めサインを入れました。
壁面に掲げた一瞬院長、母上と友人、スタッフの皆様が笑顔で受け入れてくださいました。
作者には至福のひと時でありました。

室蘭市浜町で生まれ育つ。
半世紀前の1952年室美協会員となり、画業をスタート。
早くから才能を認められ、室蘭、札幌、東京などで個展を開催。
室蘭をテーマにした「思い出テーブル」シリーズは画集として93年に出版。
70歳を過ぎた今も精力的な創作活動を展開している。
室蘭ルネッサンス、美術館をつくる市民の会などの市民運動にもかかわっている。
室蘭文芸協会会員として執筆活動も盛ん。

美術はきらいであった。
小学校一年のとき、図画工作は屈辱の2であった。
絵を描くのも苦手で、何度写生会を逃げ出しただろう。

そのわたしが中二のとき美術部に入った。
担任の佐久間恭子先生が強制的に、美術部に勧誘した(または拉致した)。
だが、やはり水彩画も油絵も苦痛であった。

美術の時間に凧を作って、凧上げをした。
とても楽しかった。物を創る喜びを感じた。創作する楽しみを知った。

時を同じくして写生会の絵が入選し、市長に表彰された。
その時がわたしの転機であったと思う。

人任せにしないこと、自分でつくりだすこと、喜びを表現し人と共有すること。

大事なことをわたしは佐久間先生に教わった。